2007年05月29日

私は何を聴いてきたのか?

1週間ぶりの投稿です。皆様如何お過ごしでしょうか。

昨日「ZARD」のボーカル、坂井泉水さんが死去したというニュースが飛び込んできました。
謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。

・・・っと申しましてもね、実のところ「へぇ〜!」という感触しかなく、先日の横山ノックさんとか植木等さんのような衝撃はございません。
 というのも、90年代は私、買い物したり市街地を歩いているときに流れているBGM程度しか邦楽を聴いていませんし、今でもJ−POPに関してはそうです。
 というか、そもそも邦楽自体を好んで聴く方じゃないんですね。
 「歌は世につれ、世は歌につれ」と申しますが、90年代に聞いていた歌の記憶が希薄ということは、私にとって90年代そのものの記憶が希薄ということにもなりかねない。
 90年代に限らず、時代の流行歌の記憶が曖昧ということは、私が生きた時代そのものの記憶も不鮮明になりかねない。
 というわけで、ふと「一体私は、何を聴いてきたのか」ということを振り返ってみたいと思った次第です。
 
 70年代のアニソンを聴き直し始めたのは結構いい年になってからでして、その理由の一つに「子供向けポップカルチャーを再考し、再評価してみよう」と思ったことが挙げられますが、それまではごく普通に(と、本人が勝手に思っているだけでしょうが)、音楽を楽しんでいたわけです。

 幼少のころは、当時放送されていたTV番組の主題歌集や「おかあさんといっしょ」で流れていた童謡集を聴いていた記憶があります。
 「ウルトラマンタロウ」の主題歌がA面、作中の挿入歌「われらウルトラ6兄弟」がB面のレコードは繰り返し聴いていましたので、今でもその旋律ははっきり覚えています。
 TVアニメ主題歌集(当時はそんなレコードがあったのです)には「ミクロイドS」、「ドラえもん」、「ジャングル黒べえ」、「ド根性ガエル」が収録してたと思います。
 「ミクロイドS」は私と同世代の方でもそのようなアニメがあったこと自体の記憶がないかもしれませんし、「ジャングル黒べえ」は今じゃ作品自体が封印、「ドラえもん」の主題歌は「♪こんなこといいな できたらいいな・・・」の方じゃなく「♪ぼくのドラえもんが 街を歩けば・・・」の方でして、歌自体が忘れ去られているかもしれません。
 童謡集には「♪ビュワーン ビュワーン はしる 青いひかりの超特急・・・」(題名は失念しました)や、「アイ・アイ」(♪アイアイ アイアイ おさるさんだよ・・・)等が収録されていたと思います。
 ところで先日「おかあさんといっしょ」を、ちゃんと見るでも無しに見ていると「アイ・アイ」が歌われていたんですよね。
 実に息が長い歌だと思って、変に感心しちゃいました。

 そして長ずるにつれアニソンや童謡を聴くことはなくなりまして、当時は今よりも歌謡番組が沢山TVで放送されていましたが、当時はどの番組でもアイドル歌手か演歌ばかりで、私には「つまらないな・・・」という感がありました。
 そして時々登場するバンドにて、その飢えを癒していたわけです。

 「ファイティング80」というTV番組があったこと、覚えている方はいますか?
 私が観ていたころは「子供ばんど」時代のうじきつよしさんが、宇崎竜童さんとともにレギュラーでした。
 この番組、ライブハウスでのバンド演奏を中心とした当時は珍しい番組で、この番組で「モッズ」や陣内孝則さんがいたころの「ロッカーズ」や「BOW WOW」や「ラウドネス」を観た記憶があります。
 当時はどことなく「日本の歌謡曲を聴くのはダサイ」というような風潮があったように思います。

 そのうち、オールディーズに懲りはじめました。
 そのきっかけはエルビス・プレスリーの“Don’t be cruel.”がCMで使われていて「いいなぁ〜」と思ったことです。
 当時はプレスリーの生誕50周年で、ちょっとしたプレスリーブームがあったんですよね。
 高校のころしばらくはプレスリーにハマりましたね。
 
そののちプレスリー全盛前後の音楽を聞き始め、50〜60年代のアメリカンポップスやR&B、ソウルミュージック(ブラ・コンというべきでしょうか?)を聞くようになり、その性癖は現在にまで至っているというわけです。
このように考えると私にとっての90年代とは、視線が国内でなく海外に向いていたということかもしれません。
今は好みがもう少し渋くなって、ときどきB・Bキングのブルースやマイルス・デイヴィスのトランペット、アメリカじゃないのですが小野リサさんのボサノバを聴くことがあります。

これを書いているうちにアレサ・フランクリンが聴きたくなってきました。
今日はこれを子守唄代わりにすることにしますか・・・

posted by 治兵衛 at 21:27| Comment(33) | TrackBack(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月22日

いままでのお詫び

 投稿をするのは実に5月4日以来になります。
 じゃ、今まで何をしていたかっていうと・・・特別なことは特にありません。
 ただ私の悪癖である「怠け癖」が疼いてしまっていただけです。
 また敢えて言うと、最近はキーボードで文字を入力する習慣も減っているため、どこか面倒な気持ちが生じていることも事実です。

 私の稚拙な文章をご覧になられている方々には誠に感謝いたします。
 そのような方々を裏切っているような気がしてなりません。
 この場をお借りしまして、改めてお詫びを申し上げます。

 振り返ると中途半端なままタイトルの投稿がかなりあります。
本日はこれらタイトルの今後の展開、始末(終了したのか否か)、または現在の状況についてざっと記してみます。
 これがお詫びの代わりになれば良いのですが・・・

・2006年8月15日のこと

 初めてマイブログを持ったときの、初投稿のタイトルです。
 新宿末広亭に行った感想を記して終わっていたと思います。
 この後はラーメン屋「桂花」にて食事をし、再び深夜バスに乗って帰宅しました。
 桂花のラーメンは、豚骨スープの割りにあっさり味で美味しかったのですが、私は口は卑しいのですがグルメではないので、これ以上の味の批評はできません。
高速バスの車中でもほとんど眠っていたので、正直特別な感想はありません。
 この話題については終了ということでご勘弁願います。
 そして今年の8月15日にも靖国神社や末広亭に行くかどうかは、未定のままです。

・「ウルトラマン大好きオヤジ(小生のこと)」の言い訳

 3月一杯まで放送されていたウルトラマンメビウスの最終回の感想を不消化のまま記して終わっていました。
 今でも時々ウルトラマンに関する本を読んでいますが、ウルトラマンシリーズとは様々な意味で面白い作品であることを改めて感じています。
 今読み返している本の一つに円谷一氏に関する評伝がありますが、円谷一氏に限らず、ウルトラマンシリーズに関わった方々の発言や記述には、興味深いものを感じています。
 この話題に関しては、タイトルを変えて記すことになると思いますが、それがいつになるかは、私にも未定です。

・私の最近の巷
 これは私の日記に相当する話題です。
 思いついたことがあれば記すことになりましょう。
 しかし原則、1話完結です。

・笑芸に関して
 笑芸が好きなのは今でも変わっていませんし、「お笑い」と「笑芸」とは違うという考えも変わっていません。
 先代の三遊亭円生が女性に人気があったということ、これは「小唄のおっしょさんとシッポリと・・・」というイメージであって、アイドル的な人気と異なることです。
 この点がうまく分析できなくて、話題もストップしたままなのです。

・特撮ヒーロー作品はクソ真面目にみよう!
 今でもこの考えは変わっていません。
 しかし多くは、特に川内康範氏の作品は観ていないので感想も述べられませんし、分析もできません。
 機会があれば観たいのですが・・・お目にかかる機会が少ないものですから。

・アニソンについて
 70年代TVヒーローのアニソンは、今でも時々鼻歌で出てきます。
 私が一番好きなアニソン歌手は子門真人さんなのですが、子門さんの歌についての話題はまだ一度も出ていないと思います。
 手持ちのCDを整理し、聞きなおした上で投稿したいと思っています。

・サンダーマスクがみたいゾ
 これは2回で終わりました。
 2回でとりあえず終了ということでご勘弁願います。

・「オヤジウケ」について
 堀江貴文氏に関する記述として投稿していましたが、このキーワードは世代間の価値観に関する分析になりそうです。
 広範囲の知識が必要になりますので、次回投稿までには当分かかりそうです。
 もっと社会に関する書を読まねばなりませんが、最近は読書の時間も少なくなっていまして・・・
 考えがまとまりましたら、改めて投稿したいと思います。

・思いつきの断片
 思いつきを思いつくままに記していまして、非常に見苦しい文になっています。
 本当に「思いつき」なので、思いついたときに記すことになるでしょう。

・古今亭志ん生名演集
 今でもCDを聴いて、滑稽噺で笑ったり人情噺でしんみりしています。
 けど、志ん生の良さをうまく文章化できなくてどこかもどかしい気分にもなっています。また「志ん生ばかり聴いているものなんだしなぁ〜」という気分も若干あります。
 志ん生をはじめとした、昔の巧い噺家さんの噺をもっと聴いてみたいです。
 その上で志ん生を批評した方が良いような・・・

・「怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス」
 1回投稿しただけで終わっていました。
 先日改めて観たときには「三波伸介さんって、本当に巧い役者さんだったんだな」と感じた次第です。
 この作品をアナログ特撮、犬塚弘のスラップスティックコメディー、三波伸介の人情喜劇、そして子供たちの奮闘劇の4つの視点から再評価しようと試みているのですが、三波伸介の人情喜劇の箇所で「巧い役者だった」の感想で止まったままです。
 もっと何回もこの作品を観て、再評価をしてみたいと思っています。
 けどそれがいつになるやら・・・

・追悼・横山ノック殿
 笑福亭鶴瓶師匠をして「こんな芸人死ぬまで勝てんわ」と言わしめ、ビートたけし師匠をして「お笑い界のリーサルウェポン」と称された不世出の芸人、横山ノックさん。
 お別れ会が来月開催されるそうなので、この報道を観てから投稿しようと以前から思っていました。
 先日植木等さんのお別れ会が執り行われましたが、関西笑芸界に与えたノックさんの影響は、植木さんと伍するものだと、私は極私的に思っています。
 この話題については、お別れ会開催の後に記したいと思います。
 改めて、故人のご冥福をお祈りします。


以上、いろいろと言い訳を述べました。
そして新しいタイトルの投稿も今後していきたいです。

と、いうわけで、本日はこれにて失礼いたします。
posted by 治兵衛 at 21:10| Comment(1) | TrackBack(10) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

追悼・横山ノック殿(1)

でですね、前回の「猪肉のコーラ煮」はどうであったか?
結果は「食えなくないけど、あんまり美味しくない・・・」でした。
どうしても「獣の肉」という感じが抜け切れないんですよね。
生姜や葱などの香味野菜を加えないと、煮込んでも独特の臭みは残るみたいです。
これを更に焼いてみると何とか食えやせぬか・・・と思いつつ、今冷蔵庫に煮汁と一緒に眠っています。
で、焼いた結果は・・・また後日ご紹介します。

前回の投稿が4月30日、中3日あったんですが、5月1,2日は通常通りの勤務でグッタリし、昨日は夜に自宅に近所の方が集まる席があったのでその準備を日中し、集会が散会後なんだかくたびれてという有様でして・・・(なんだか言い訳ばかりしていますが)。

昨日近所の方がいらっしゃる前に、いつもより早めの夕食をとっているとTVで「横山ノック氏死去」の訃報が流れました。
「えっ!!ノックさん死んだの??まさか・・・」というのが訃報を聞いたときの第一印象です。
私は大人気を誇ったという「漫画トリオ」をしらない年齢ですし、もちろん「横山ノック・アウト」、「秋田Oスケ、Kスケ」も知りません。
漫画トリオに関しては人気があったころの漫才の映像が残っていないようので(音では聴いたことはありますし、ノック氏が参院議員になった後に上岡龍太郎氏と青芝フック氏との3人で演っている映像は観たことはありますが)、このトリオ漫才の当時の人気や面白さは窺うことしかできませんが、とにかく斬新で面白かったようです。
かなり以前に放送されていた番組「鶴瓶・上岡パペポTV」や「EXテレビ」、かなり前の「探偵・ナイトスクープ」等にて、ノック氏自身や上岡龍太郎氏が語っている内容で記憶に残っていることを、思いつくままランダムに記してみたいと思います。

・青芝フック氏(二代目横山フック氏)が「ノックさんは当時『漫才は二人でやるものなのに、三人で漫才やるなんておかしいやないか』と言われていたらしいけど、これをどうやって解決したのか?」との発言に対しノックさんは「だから一人で言う台詞を割り台詞にしたわけや。例えば『君のとこに昨日行ったけどおらなんだなぁ。どこ行っとたんや』を、一人でも言えるけど『君のとこに昨日行ったけど』、『おらなんだなぁ、どこ行っとたんや』と二人で言うようにしたわけや」

今でこそ3人で笑芸を演るのは珍しくないのですけど、当時は珍しかったトリオ漫才を演る上での工夫が窺えます。

・ノックさんと横山パンチの上岡龍太郎氏の年齢差は10歳、そしてボケがノックさんでツッコミが上岡龍太郎氏。当時の漫才では年齢差がある場合には年下の者がボケ役を演り年長の者が「年下の者の言うことを諌める」という形でのツッコむが普通のパターンだったのに対し、漫画トリオでは三人の中で最年長のノックさんがボケ役を演り、年下のパンチさんが「ええかげんにせぇ〜」とツッコむというパターンだった。これは当時非常に珍しかった。
 
・漫画トリオ全盛時、ツッコミ役のパンチさん(上岡龍太郎さん)は舞台で、お客さんとノックさんを半々に見ていた。そして「今日のお客さんはノッてる」と感じたときは漫才を演っている途中に小声でノックさんに「もうちょっと演って」と言っていた。それを聞いたノックさんは、いつもなら「ええかげんにせぇ〜」とツッコまれるところを引っぱり、舞台の端から端へ走り回ったという。例えば「金色夜叉」のネタではフックさんがお宮、パンチさんが貫一、ノックさんが「熱海海岸の波」を演り、ノックさんは「ジャバジャバ・・・ザッブーン・・・」とか言いながら舞台の袖から袖を走り回る。お客さんがノッているときは、舞台上のノックさんを観て客席が左右に揺れる。これを見たパンチさんは「まだイケる」と判断すると、ノックさんに引っぱるように小声で指示し、ノックさんはアドリブを入れながら再び走り回ったという。そしてここだ!というタイミングをみて「ええかげんにせぇ〜」とツッこむと客席は大爆笑だったという。

舞台上でツッコミのタイミングを冷静に計算していた上岡龍太郎氏も凄いのですが、引っぱるノックさんも凄いですね。タイミング良くツッこんでくれないと、せっかくのギャグも自滅しますから。お二人の信頼関係が何となく窺えます。

・ネタ作りに関してノックさんは「見てもいないものをしゃべるな」という方針であり、漫画トリオ全盛で多忙にもかかわらず、新幹線のネタを作るために他の二人を連れて新大阪駅まで見に行ったという。

・ノックさんはいつも頭陀袋のようなカバンを下げていた。中に入っているのはノート。
 二代目フックさんはノックさんから「思いついたことは何でもええから書け」といわれていたと言う。これをフックさんは自分の弟子にも言っているという。

・ノックさんと出会ったときの上岡龍太郎氏の発言
「僕は当時、バンド(バンド名は失念しました)のボーイ兼司会者として入れてもらった。そしてノックさんは僕のことを、コノミというスナックのマスターから聞いた。当時ノックさんは『横山ノック・アウト』を解散したばかり。当時のノックさんのマネージャーから『今度漫才するときは、もう別れたらいかんで。そして君ももうベテラン(ノックさんは当時28歳)。今度は若い子と一緒にやったらどうや?』といわれ、マスターに『誰か若い子知らんか?』と訊いたら『龍太郎という奴がバンドの司会を演っています。』ということで、二人はナンバ一番(大阪の老舗のジャズ喫茶)に向かって歩いて行った。けど僕はそのころ別のバンドに移り、ナンバ一番にはいなかった。ナンバ一番に二人が行くと、そこにセーヤン(後の初代横山フックさん)があるバンドのドラムとして登場していた。
ノックさんはノック・アウトのころからジャズ喫茶によく出入りしていたしセーヤンのお父さんが漫才師だったことから、セーヤンとノックさんは旧知だった。ノックさんは『龍太郎というの知らんか?』というとセーヤンは『今龍太郎はキングというジャズ喫茶にいます。私よう知ってますので』ということでセーヤンとノックさんはキングに向かって行った。そして初対面のノックさんから『漫才やりませんか?』と言われたときセーヤンは『龍太郎、漫才やれ!別にな、漫才に固執することないねん。あのノックを踏み台にして芸能界に行け!』と小声で言われた。僕はそのとき『やろ!やろ!漫才やろ!』と思ったけど、二つ返事で言っては値打ちがない。『2,3日考えさせて下さい』と言った。そして漫才を演ることになったけど、僕は漫才は素人。いっぺんだけ稽古したけど僕が下手すぎたんや。それでノックさんが『もう一人入れんといかんな』ということで、僕の同級生の谷のところや、腹話術の川上のぼるさんのところも行ったけど今ひとつ。(このとき初代フックさんが『けど、一人決まりかけてたんでしょ?』というとノックさんが『そやけど、龍太郎と同じタイプやねん。セーヤンは今でこそほっそりしてるけど、当時はふっくらしてたからね』)そこで『そうや!セーヤンがおるやないか。轟一蝶さんの息子やし、蛙の子は蛙やで』ということで、『セーヤン演ろ!』と言いに行った。」

このエピソードは、非常に「運命」の存在を感じますし、漫才においてのトリオの「見た目」も考えていたノックさんの芸人感覚を感じます。

(ノック氏とかノック殿とか、敬称に一貫性がありませんが、私の中では『ノックさん』が一番ピッタリきますので、以後ノックさんで統一したいと思います)

私が昔のTVで見た横山ノックさんのことについては今回の投稿では収まりません。
次回もノックさんについて記したいと思います。

改めてですが、横山ノックさんのご冥福をお祈りいたします。
posted by 治兵衛 at 21:51| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

追悼・横山ノック殿(1)

でですね、前回の「猪肉のコーラ煮」はどうであったか?
結果は「食えなくないけど、あんまり美味しくない・・・」でした。
どうしても「獣の肉」という感じが抜け切れないんですよね。
生姜や葱などの香味野菜を加えないと、煮込んでも独特の臭みは残るみたいです。
これを更に焼いてみると何とか食えやせぬか・・・と思いつつ、今冷蔵庫に煮汁と一緒に眠っています。
で、焼いた結果は・・・また後日ご紹介します。

前回の投稿が4月30日、中3日あったんですが、5月1,2日は通常通りの勤務でグッタリし、昨日は夜に自宅に近所の方が集まる席があったのでその準備を日中し、集会が散会後なんだかくたびれてという有様でして・・・(なんだか言い訳ばかりしていますが)。

昨日近所の方がいらっしゃる前に、いつもより早めの夕食をとっているとTVで「横山ノック氏死去」の訃報が流れました。
「えっ!!ノックさん死んだの??まさか・・・」というのが訃報を聞いたときの第一印象です。
私は大人気を誇ったという「漫画トリオ」をしらない年齢ですし、もちろん「横山ノック・アウト」、「秋田Oスケ、Kスケ」も知りません。
漫画トリオに関しては人気があったころの漫才の映像が残っていないようので(音では聴いたことはありますし、ノック氏が参院議員になった後に上岡龍太郎氏と青芝フック氏との3人で演っている映像は観たことはありますが)、このトリオ漫才の当時の人気や面白さは窺うことしかできませんが、とにかく斬新で面白かったようです。
かなり以前に放送されていた番組「鶴瓶・上岡パペポTV」や「EXテレビ」、かなり前の「探偵・ナイトスクープ」等にて、ノック氏自身や上岡龍太郎氏が語っている内容で記憶に残っていることを、思いつくままランダムに記してみたいと思います。

・青芝フック氏(二代目横山フック氏)が「ノックさんは当時『漫才は二人でやるものなのに、三人で漫才やるなんておかしいやないか』と言われていたらしいけど、これをどうやって解決したのか?」との発言に対しノックさんは「だから一人で言う台詞を割り台詞にしたわけや。例えば『君のとこに昨日行ったけどおらなんだなぁ。どこ行っとたんや』を、一人でも言えるけど『君のとこに昨日行ったけど』、『おらなんだなぁ、どこ行っとたんや』と二人で言うようにしたわけや」

今でこそ3人で笑芸を演るのは珍しくないのですけど、当時は珍しかったトリオ漫才を演る上での工夫が窺えます。

・ノックさんと横山パンチの上岡龍太郎氏の年齢差は10歳、そしてボケがノックさんでツッコミが上岡龍太郎氏。当時の漫才では年齢差がある場合には年下の者がボケ役を演り年長の者が「年下の者の言うことを諌める」という形でのツッコむが普通のパターンだったのに対し、漫画トリオでは三人の中で最年長のノックさんがボケ役を演り、年下のパンチさんが「ええかげんにせぇ〜」とツッコむというパターンだった。これは当時非常に珍しかった。
 
・漫画トリオ全盛時、ツッコミ役のパンチさん(上岡龍太郎さん)は舞台で、お客さんとノックさんを半々に見ていた。そして「今日のお客さんはノッてる」と感じたときは漫才を演っている途中に小声でノックさんに「もうちょっと演って」と言っていた。それを聞いたノックさんは、いつもなら「ええかげんにせぇ〜」とツッコまれるところを引っぱり、舞台の端から端へ走り回ったという。例えば「金色夜叉」のネタではフックさんがお宮、パンチさんが貫一、ノックさんが「熱海海岸の波」を演り、ノックさんは「ジャバジャバ・・・ザッブーン・・・」とか言いながら舞台の袖から袖を走り回る。お客さんがノッているときは、舞台上のノックさんを観て客席が左右に揺れる。これを見たパンチさんは「まだイケる」と判断すると、ノックさんに引っぱるように小声で指示し、ノックさんはアドリブを入れながら再び走り回ったという。そしてここだ!というタイミングをみて「ええかげんにせぇ〜」とツッこむと客席は大爆笑だったという。

舞台上でツッコミのタイミングを冷静に計算していた上岡龍太郎氏も凄いのですが、引っぱるノックさんも凄いですね。タイミング良くツッこんでくれないと、せっかくのギャグも自滅しますから。お二人の信頼関係が何となく窺えます。

・ネタ作りに関してノックさんは「見てもいないものをしゃべるな」という方針であり、漫画トリオ全盛で多忙にもかかわらず、新幹線のネタを作るために他の二人を連れて新大阪駅まで見に行ったという。

・ノックさんはいつも頭陀袋のようなカバンを下げていた。中に入っているのはノート。二代目フックさんはノックさんから「思いついたことは何でもええから書け」といわれていたと言う。これをフックさんは自分の弟子にも言っているという。

・ノックさんと出会ったときの上岡龍太郎氏の発言
「僕は当時、バンド(バンド名は失念しました)のボーイ兼司会者として入れてもらった。そしてノックさんは僕のことを、コノミというスナックのマスターから聞いた。当時ノックさんは『横山ノック・アウト』を解散したばかり。当時のノックさんのマネージャーから『今度漫才するときは、もう別れたらいかんで。そして君ももうベテラン(ノックさんは当時28歳)。今度は若い子と一緒にやったらどうや?』といわれ、マスターに『誰か若い子知らんか?』と訊いたら『龍太郎という奴がバンドの司会を演っています。』ということで、二人はナンバ一番(大阪の老舗のジャズ喫茶)に向かって歩いて行った。けど僕はそのころ別のバンドに移り、ナンバ一番にはいなかった。ナンバ一番に二人が行くと、そこにセーヤン(後の初代横山フックさん)があるバンドのドラムとして登場していた。
ノックさんはノック・アウトのころからジャズ喫茶によく出入りしていたしセーヤンのお父さんが漫才師だったことから、セーヤンとノックさんは旧知だった。ノックさんは『龍太郎というの知らんか?』というとセーヤンは『今龍太郎はキングというジャズ喫茶にいます。私よう知ってますので』ということでセーヤンとノックさんはキングに向かって行った。そして初対面のノックさんから『漫才やりませんか?』と言われたときセーヤンは『龍太郎、漫才やれ!別にな、漫才に固執することないねん。あのノックを踏み台にして芸能界に行け!』と小声で言われた。僕はそのとき『やろ!やろ!漫才やろ!』と思ったけど、二つ返事で言っては値打ちがない。『2,3日考えさせて下さい』と言った。そして漫才を演ることになったけど、僕は漫才は素人。いっぺんだけ稽古したけど僕が下手すぎたんや。それでノックさんが『もう一人入れんといかんな』ということで、僕の同級生の谷のところや、腹話術の川上のぼるさんのところも行ったけど今ひとつ。(このとき初代フックさんが『けど、一人決まりかけてたんでしょ?』というとノックさんが『そやけど、龍太郎と同じタイプやねん。セーヤンは今でこそほっそりしてるけど、当時はふっくらしてたからね』)そこで『そうや!セーヤンがおるやないか。轟一蝶さんの息子やし、蛙の子は蛙やで』ということで、『セーヤン演ろ!』と言いに行った。」

このエピソードは、非常に「運命」の存在を感じますし、漫才においてのトリオの「見た目」も考えていたノックさんの芸人感覚を感じます。

(ノック氏とかノック殿とか、敬称に一貫性がありませんが、私の中では『ノックさん』が一番ピッタリきますので、以後ノックさんで統一したいと思います)

私が昔のTVで見た横山ノックさんのことについては今回の投稿では収まりません。
次回もノックさんについて記したいと思います。

改めてですが、横山ノックさんのご冥福をお祈りいたします。
posted by 治兵衛 at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月30日

私の最近の巷(8)

今日は久々の終日フリーでした。
とはいえ、昨日記したように雑用が多々あり、のんびりとしてられません。

以前、といってももう2ヶ月以上前のことですが、近所の方から猪肉をいただきまして、結構量があったのでフリーザーに入れておいたんですが「いい加減食べないと・・・」と思い、教えられた通りに臭み抜きとして烏龍茶に一晩、解凍した肉を漬けておき「けどやっぱり臭そうだなぁ」と思ったので、味噌に味醂を適量混ぜて味噌床を作り肉を漬け、翌日薄切りにして焼いて食べたんですが、臭みは感じられないものの、貴重なもらい物なのに申し訳ないのですが、正直美味しくないんですよね。
肉といえば精肉、ちゃんと食用として育てられた家畜の肉しか知らない私にとって、元々は山にいた野生の、人に食べられるなんて思っていなかったであろう猪の、まさしく「獣肉」といえる肉に、私の舌が馴染んでいないせいで美味しく感じなかったのかもしれません。
またもしかしたら、長期間フリーザーに入れていたので肉が冷凍焼けをしていたのかもしれません。
焼いて食べたら食感はゴリゴリしてたので「堅いから、こりゃ煮込まないと食べられないかなぁ・・・」と思いつつ、肉は味噌床に漬けたままで、冷蔵庫に入っている味噌床の猪肉を見るたびに、「なんとかしなきゃなぁ・・・」と思っていました。
そして昨日、日中野良仕事をしコーラを飲みたい衝動に駆られたとき、冷蔵庫の肉を思い出しふと「堅い肉ならコーラ煮にしたらどうだろう・・・」なんて思いつきました。
以前「豚肉のコーラ煮」を作ったことがありお肉が結構柔らかく仕上がった経験があったので「いんじゃな〜い(ここ、春乃チック・タックのギャグのように読んで下さい)」なんて思ったわけです。
「豚肉のコーラ煮」とはご存知の方も多い料理だと思いますが、作り方は実に簡単。
豚肉ブロックを鍋に入れコーラをトクトク・・・となみなみと注ぎいれ、醤油などの調味料を入れてた後、灰汁をひきつつコトコトと一時間程度煮込むだけの、料理といえるかも判らないような料理です。
コーラ自体に甘みがあるので砂糖や味醂等の甘い調味料は控えめの方が良いと思います。
コーラはコカ・コーラでしかやったことがありませんが、ペプシやジョルト(いまでもあるのかな?)、チェリーコークではどうなるかわかりません。
また生姜や中華のスパイスを入れるとより風味が増すかもしれません、やったことはありませんが。
以前作ったときの味はといえば豚の角煮のような、ラーメン屋の煮豚のような味で結構イケました。
豚肉でなく鶏の手羽先でもやったことがありますが骨の身離れがよく、これも結構イケました。(手羽先バージョンはマンガ本『クッキングパパ』に載っていたのを真似したものです)
なお、お断りしておきますが、味は手前味噌なところもありますし味覚とは極めて主観的な代物ですから、真似して作って不味かったとしても当方責任は負いかねます。

今回のコーラ煮は猪肉という初めての食材ですし、また猪肉も味噌床に長期間漬けていたので、どんな味になるのか不安ですが・・・。

で、結末は?
これはまた次回に報告することとしますね。

(失敗だったら発表しないかもしれない)
posted by 治兵衛 at 19:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月29日

ただ今連休中

PB260045.JPG
昨日からいわゆるGWが始まりましたが、皆さんご予定はおありでしょうか?
小生は幸いにカレンダー通りの休日とれそうですが、今月の週末は何かと所用があったため、週末にできなかったことを連休に行うことになりそうです。
所用とは実にしみったれたことで、家の周囲の草むしりや草刈、家の片付けや清掃、お墓の清掃等といったことです。
暇があれば行ってみたい場所もありました。
その一つ、上京して末広亭などの寄席にて落語を初めとする演芸を観たかったです。5月は奇数月なので、末広亭では昨年8月の落語芸術協会と異なり、落語協会主催の出し物のはずです。
二つ目、おもちゃが好きな小生としては、奈良県にある「アトンおもちゃ館」というところに行き、ついでに奈良の旧跡を巡ってみたかった。
そして三つ目、昨年行った新潟県柏崎市にある「空想ひみつ基地 こどもの時代館」にもう一度いってみたかったですね。

昨年の5月5日には、新潟県柏崎市に行って参りました。目的地は「空想ひみつ基地 こどもの時代館」。
ここは簡単に言えば、昭和の、特にTV・映画のキャラクター玩具が展示してある施設です。
ネットでこの施設の存在は以前から知っていましたので是非行きたいと思い、昨年5月の連休の一日を使って行ってみることにしました。
自宅を出たのは早朝の4時、朝早かったので往路では渋滞に巻き込まれることはありませんでした。
現地に到着したのは午前8時半、開館時間の30分前でしたが、柏崎の日本海を眺めていたら30分はあっという間。
入場料金を払い中に入ってみると・・・展示品が実に多く、また1年前のことなので記憶も薄れているので申し訳ありません。
けど、「子供のころのおもちゃ屋さんでのトキメキ」が蘇ったのは間違いないです。

子供のころ買ってもらえるわけでもないのに、おもちゃ屋さんの商品をじっと眺めていた記憶は、今の時代にはあるかどうかわかりませんが、ある世代の方ならばあるんじゃないでしょうか。
なぜそんなことをしていたか、理由は巧く言えませんし明確な理由もわかりませんが、「TVで熱中しているヒーローがそこにいる」という疑似体験とか、「これが手元にあったらなぁ・・・」というあこがれ、けど野球のグローブなどとは違い「TVマンガのものを欲しがるのはガキであり未熟な証拠」という大人や世間の目に納得しながらも心中にある「欲しい」という衝動といったものが綯交ぜになった感情じゃなかったかと思うんです。

「こどもの時代館」は連休中だったので入場者が多く落ち着いて展示品を観てられない感があり機会があればもう一度行きたいと思っているところです。
また我が家には「おらぁグズラだど」や「サスケ」等のOP、EDが収録されたLPレコードがあるのですが、レコーダーがないので聴けませんので「この施設に寄贈しようかな」とも考えているので、再び行こうかと思っているのです。
また去年柏崎に行った目的は、第一は「こどもの時代館」であり第二は「魚介類を食べること」でしたが、第二の目的が叶えられなかったので心残りが若干あることも、行きたい理由です。

柏崎を発ったのは午後3時ごろ、復路では高速道路が渋滞し、帰宅に要した時間は往路の3倍かかりました。
そして「こどもの時代館」で購入した円谷英二氏のポロシャツは、昨夏は着ないまま(着る度胸がないまま)、今になっています。
このポロシャツを着ていると「何これ?」といわれ、説明すると次にきっと「異形の者」で見られますからね(笑)。


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2007年04月25日

古今亭志ん生名演集(6)

相変わらず志ん生にてご機嫌を伺いたく思います。
昨日聞いていたのは「芝浜」。
志ん生のこのネタを聴くのは2度目でして、最初は図書館で借りたテープにてです。
「芝浜」は三遊亭圓朝作の人情噺の代表でして・・・

棒手振りの魚屋、熊が五十両入りの皮の財布を拾う。生来怠け者の熊はこれ幸いと、友達を呼んで飲んで騒いで寝てしまう。翌朝女房に起され魚河岸に行けといわれ、財布のことをきくと夢だという・・・

「芝浜」は数々の噺家さんによって口演されていますが、志ん生のものは「志ん生ワールド」の中で熊さんと女房が生き生きとしていて、私は大好きですね。

「何がめでてえって、めでたくねえことよりもめでてえことがめでてえや!」
この台詞は図書館で借りたテープにありましたが、ときどき思い出してニヤついてしまいます。

そして私が大好きなのは、以前にも記しましたが、オチ前の大晦日の光景。
再び引用しますと・・・

「お前さん、何も大晦日にお得意回りしなくてもいいだろう」
「わかってるよ。けどな、晦日、正月はどこも休みだ。お得意に不自由させちゃいけねえからよ。」

「どうだいお前さん、お風呂は。混んでただろ?」
「混んでたってもなにも、芋を洗うようだ。みんな一年の垢を落とそうっていうんだからよう、あ〜くたびれた! ん? なんかいい匂いがするぞ」
「畳変えたんだよ」
「そうかあ、道理でいい匂いがすると思った! 昔の人は言ってたなぁ〜。畳の新しいのと女房の新しいのは・・・って、女房は新しくねえ方がいい・・」
「古くて悪かったね・・・」

「ほら、福茶が入ったから、おあがんなさいな」
「福茶か…久しく飲まねえから、味も何も忘れちまったなぁ…縁起物だ、頂くとしようか…うーん、これが福茶の味かぁ」

こういった「化けるほど」長い夫婦の、何とも言われぬほのぼのとした光景が描写されて、何度聴いても聞き入ってしまいます。

志ん生は「ダメな男」を口演しても可笑しくて巧いのですが「しっかり者のおかみさん」も、艶っぽい女性という感じではないのですが吸いも甘いも噛分けた感があって実に巧く、「男のバカと女の利口がつっかう」という雰囲気が良く出ていると思います。

志ん生の人情噺で是非聴いてみたいと願いつつまだ聴いたことが無いのが、芸術祭賞を受賞した演題「お直し」、夫婦の機微を見事に描いた傑作だそうです。
今は懐が少々寂しいのでこのCDを買えませんが、いつかこのネタを収録したCDを購入して聴いてみたいです。

今日はこれにて・・・。
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2007年04月23日

ウルトラマン大好きオヤジ(小生のこと)」の言い訳(とりあえずの終)

このタイトルの投稿をするのは3月4日以来のことになります。
ウルトラマンやその怪獣たちについて語り出すともう一つブログが必要な位になりますが、いつまでもダラダラ続けているときりがないので、多分また別タイトルでウルトラマンシリーズのことを記すことになるでしょうが、とりあえず今回の投稿でひとまず終了としたいと思います。

「ウルトラマンメビウス」の最終回が放送されたのが先月の31日、早いものでもう3週間以上経っています。
3月に入ってからメビウスを観ているとき「次回作は何だろうな?」と期待していたのですが、どうやら当面はシリーズ制作が無い様子です。
これはこれで致し方ないのだろうな・・・と思う次第です。
なにせ巨大ヒーロー作品は予算と手間がかかるものですから、視聴率をそれなりに稼いでマーチャンダイジングの結果を出さないと作品を量産できませんから。
しかしウルトラマンシリーズは中断と復活を重ねながら、40周年記念作品として「ウルトラマンメビウス」が制作されたという経緯がありますから、またウルトラマンシリーズとはいまや戦後日本ポップカルチャーを代表するヒーローとなっていますから、そして何より、ある世代以降の少年、そして元少年は多かれ少なかれ怪獣が好きですから、このままウルトラマンそのものが無くなってしまうことはないと思います。
数年後「ウルトラマン〜〜」というタイトルの新作が発表されることを待ち望みます。

メビウスに話題を戻しますと、私実は白状するとメビウスを観たのは、2クール目の半ばからで、初めから観ていたわけじゃないんです。
前作「ウルトラマンマックス」は面白く観ていましたのでメビウスもそれなりの期待をし放送第一話は少しだけ(放送日は所用があって最初の10分程度しか観ていません)観たのですが、ミライやリュウの台詞回しに素人っぽさとかぎこちなさを感じて「観たい!」という気持ちが失せていたというのが本心です。
けど、キャストやスタッフが回を重ねるうちに巧くなるというのか、特撮ヒーロー作品における演出や演技がわかってくるというべきなのか、ある日ふっと観ると面白い作品になっているんですよね。
これを得手勝手に「クーミンコメットさん現象」とでも名付けましょうか。
私正直なところ「ウルトラマンメビウス」を観ていて、大場久美子さんの「コメットさん」と重なるところがあるように思っていました。
で、「クーミンコメットさん現象」とは何のことか、大場久美子さん主演の「コメットさん」について、以前から数回紹介している「ガメラ創世記 映画監督 湯浅憲明」(唐沢俊一編著 2006年4月26日初版発行 エンターブレイン)から引用しますと・・・
(以下引用223〜226頁)

(前略)九重祐美子さんのコメットさんとどう違えるのか、ということを、橋本プロデューサーを中心に佐々木守さんなんかと一緒に、頭よせあって考えたんですよね。で、新しい線を引いたんです。要するに、昔のコメットさんはお助けお姉さんだった、と。地球の困っているのを助けるためにやってきた。今度のコメットさん(大場久美子さん・・・筆者注)は、自分が、愛を探すためにやってきたんだ、と。コメットさん自身の成長物語なんだ、という風に基本線が決まったんです。
あのとき、スポンサーの意向では、コメットさんの最初のイメージは榊原郁恵さんだったそうです。だけど、われわれはもう少ししとやかなタイプがいい、と考えたんですね。つまり、それではどうしても過去のイメージを引きずることになる。二番煎じでは絶対アタらないと考えた。それで、当時プリンなんかのCMに出ていた大場久美子さん、あの子の素直そうな感じと、上品な顔立ちが気に入って、この子にしたい、と主張して、主役にしたんですね。(中略)
彼女、気の強い子でしてね。(中略)撮影現場でも一生懸命でしたね。ああいうアイドルには、演技を要求してもダメなんです。一生懸命、スタッフについて行こう、という意志が一番ですね。ハングリー精神だけは人一倍ありましたね、彼女は。ハングリー精神がなくちゃ、耐えられる世界じゃないですよ、芸能界てのは。(中略)
彼女を使って、ああ、いいな、と思ったのは、演技がだんだん、上達していった、ということです。そりゃ、最初は演技なんて言えるものじゃありませんでしたよ。生の素材、という感じで。
でもね、テレビというのは、特に夜七時台の、若い子が主演の時間帯のテレビの演技というのは、初めはうまくなくたっていいんです。演技が出来ないなりに一生懸命やっている、そのハツラツとしたところが伝わってくれればいい。演技は、後からうまくなればいいんです。(中略)
久美子さんなんて、最初は声も出ないんですから。マイクロホンに入れた声が消えちゃうんです。声帯の筋肉を全部使って声を出していないから、周波数の関係で、声が消えちゃうんですよね。だから、「コメットさん」の第八話までは、彼女の台詞を一本だけにして、そこに録音的にカバーして、それから音楽や効果音とミックスしていたんです。第九話くらいで声が出るようになったとき、あ、慣れてきたな、と思いましたね。
そういう風に主役の子がグーンと伸びてくる。そうすると、観てくれる人たちもそれに呼応するような形で、視聴率がグンと上がります。
僕が今まで撮ったのが、怪獣、アイドル、子供、そして犬。どれもね、ワンカット、ワンアクション。演技などは最初から期待できないものを撮ってきた。みんな同じですよ。偏見かもしれませんが、僕はそういう意味をこめて、怪獣=アイドル論というのを唱えているんです。
演技で光れないのなら、何で光るか、というと存在感なんです。歩いたり、走ったり、そいう動きの中にハッキリした存在感がなければ、主役にはなれません。
アイドルを撮るときには、ワンカットの中にひとつの演技、これ以上を期待したらダメなんです。泣いていたのが、やがて驚きになり、そして笑いに変化していく、これをやれってたって最初から無理ですからね。泣いてワンカット、驚いてワンカット、そして笑ってワンカット。この間に何か別の絵を入れてつながなきゃ撮れません。
その中で、長いこと撮っているうちに、だんだん、複数の演技をできるようになっていく子がいる。こういう子は絶対にスターになります。演技をつかんでいくんですよね。カットを割らなくても撮れるようになる。おっ、わかってきたかな、この子も、と思う瞬間がある。うれしいですよ、そういうときは。これは怪獣にはない瞬間ですからね。

長々と引用しましたがつまりなにを私がいいたいかといいますと、作品を通じて出演者の演技が巧くなりそれに呼応して視聴率も向上する、ストーリーとしてはウルトラマンのルーキーであるメビウスが地球で見つけたものが広義の「愛」ではなかったか、いうことをいいたかったわけです。
ミライ隊員やリュウ隊員、GUYS隊員の演技は、最初は正直なところ私個人は静視できなかったんですが、回を重ねるにつれ観られるものになってきたような感があるんです。
ま、こういう意味で「クーミンコメットさん現象」と呼んでいるんですね、メビウスを。

(どーも眠たくなってきた・・・今日はこれにて・・・)
posted by 治兵衛 at 21:54| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月20日

古今亭志ん生名演集(5)

いやぁ〜ね、今日はクダビレましたわ。
何だか腕が張って、何をするにも億劫って感じですね。

というわけで、今日も志ん生のCDを聴いていました。
今日聴いていたネタの一つは「火焔太鼓」。
このネタ、志ん生のを聴くのは初めてじゃありませんし、他の噺家さんが演じるのも何度も観たり聴いたりしています。
このネタ、志ん生のも十分面白いのですが極私的にいいますと、次男であり弟子である古今亭志ん朝師匠のものの方が好きですね。
志ん朝師匠の場合、実にテンポ良く話しが進められますので、志ん生のを聴くとどこかまだるっこい印象を覚えてしまうのです。
しかし、志ん朝師匠が演じる「火焔太鼓」にも志ん生の言語感覚が生かされており、志ん生によるギャグと志ん朝師匠のテンポの良さとが一緒になることにより、志ん朝師匠の火焔太鼓はより一層巧く面白い作品になっているように思えます。

「火焔太鼓」といえば、まだ聴いたことがなく機会があれば是非聞いてみたいのが、先代の金原亭馬生によるものです。
ご存知の方も多いでしょうが、先代・金原亭馬生とは志ん生の長男であり志ん朝師匠の兄、女優・池波志乃の父でありますから「中尾巻き」の中尾彬の義父にあたります。
今でも放送されているのでしょうか、以前NHKで夜9時30分ごろ「ラジオ名人寄席」という、玉置宏さんが案内役のラジオ番組が放送されていましたが、この番組でたまたま、先代・馬生の噺を聴くことがありました。(ネタ名は失念しましたが・・・)
先代・金原亭馬生も実に巧い噺家さんでして、噺家としてこれから脂が乗るという時期に他界されたことが、かなりの年月が経った今でも惜しまれてなりません。
江戸下町コトバをちゃんとしゃべられる噺家さんって、以外と少ないんですよね。
先代・金原亭馬生はそういったコトバが何の苦もなくしゃべられる、数少ない噺家さんでした。
先代・馬生の話芸とともに、きちんとした江戸コトバによる噺が聴きたいという理由もあり、馬生の「火焔太鼓」が聴いてみたいと願っているわけです。

馬生の弟、志ん朝も江戸コトバを自在に操れる噺家さんでした。
志ん朝といえば・・・
私、カミングアウトをして白状しますと「落語家になりたい!」と思った時期がありました。(若気の至り故、ご勘弁下さい)
しかしあるとき、TVで志ん朝によるネタ「大工調べ」を観たとき「こりゃ駄目だぁ・・・」と思ったのです。
「大工調べ」の見せ場は、大工・与太郎の棟梁が、与太郎の家主に啖呵を切る場面です。
志ん朝による啖呵は、実にもう「立て板に水」でして、特に啖呵のラスト「その芋食って死んだ奴が何人いるかわかんねえぞ、この人殺し!」というときの巧さときたら・・・「とても真似できない」と思い、落語家には絶対なれないと痛感したのです。
あれから十数年経った後の今でも勿論真似できません。

そんな私にとって特別な思いがある志ん朝師匠も他界されてもう5年以上経つでしょうか。
私の住む町の近くで志ん朝師匠の口演が予定されたことがあり、母に是非聴かせたいと思いチケットを購入したのですが、楽しみにしていた口演が開演日の数日前に突然のキャンセル!
実はキャンセルになる数日前に、志ん朝師匠は倒れられ病床の身になっていたんですね。
私自身が志ん朝師匠が大好きだったことに加え、母に志ん朝師匠の噺をみせてやれなかったことが、当時非常に残念に思いました。
その数ヵ月後、志ん朝師匠は他界。
そして私が生の落語を見せたいと思った母も3年前の12月に他界しました。

私の志ん朝師匠への思い入れは、これら2つの出来事と大いに関係しています。

今日は志ん生のことがメインでない投稿になりましたこと、お詫び申し上げます。
posted by 治兵衛 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月18日

古今亭志ん生名演集(4)

約3年前、「幕末太陽伝」という映画をみたことがあります。
これは小林信彦氏が著書「日本の喜劇人」にて、この映画での故・フランキー堺さんの演技を高く評価していたので是非観てみたいと思っていた作品でした。
映画「幕末太陽伝」は、石原裕次郎氏や小林旭氏といった当時の現代劇を代表するスターが髷姿で出演するという珍しさもある作品ですが、私はフランキー堺さん、小沢昭一さん等の喜劇役者の演技に注目して観ていました。
この映画は、主人公のフランキー堺さんの役名が「佐平次」であり、劇中で「居残(イノ)さん」と呼ばれて判るように、古典落語「居残り佐平次」を下敷きにし、「品川心中」、「芝浜」、「お見立て」といったネタを散りばめた、名作と呼ばれている作品です。
評判どおり、若き頃のフランキーさんの名演技や左幸子さんの遊女「おそめ」等、見所の多い非常に面白い作品でしたが、「品川心中」「お見立て」を映像化した場面では私には少々違和感を覚えました。
「品川心中」は図書館で借りたテープにて古今亭志ん生のものを聴き、「お見立て」はNHKで古今亭志ん朝師匠の実演映像を観たことがありました。
私の違和感とは「『幕末太陽伝』での『品川心中』と『お見立て』は川島雄三監督におけるそれらであって、両師匠の語り口から私がイメージする世界や登場人物とはちょっと違うなぁ〜」というものです。
古典落語の面白さとは、そのストーリー自体も面白いのですが、それ以上に噺家さんの語り口や話芸に因るところが大きいことを、この映画を観て改めて感じた次第です。

古典落語を記した文庫本があるのですが、正直なところ、古典落語は活字だけ追ってみると爆笑というほどのものじゃないんですよね。
けどこれが巧い噺家さんが実演すると大爆笑になる、これが話芸とか語り口というものなのかもしれません。

今聴いている噺は「妾馬」
裏長屋に住むおつるという娘は、通りかかった大名の目にとまり「おつるの方」に出世する。おつるが兄に会いたいというので、兄の八五郎は邸に招かれるが、ガサツ者でコトバ使いも満足に知らない・・・。

この噺で志ん生の演ずる八五郎が、ホントにもう、大爆笑なんですよ!!
聴いているCDでは、子供の笑い声も聞こえてきます。
「古典落語は子供には面白くない」と仰る方もいらっしゃるかもしれませんが、本当に巧い噺家さんの噺は世代を超えて面白いのだと、今聴きながら思っています。

確かに落語を聴くには、客と演者との約束事を理解していなければなりません。
落語が大衆芸能から乖離した原因の一つに、この約束事を理解する客が少なくなったこともあるかもしれません。
難しい約束事じゃないんですが、ちゃんとした落語(前座ネタで10分程度、通常のネタで15分から30分、大ネタなら1時間以上かかるのが普通です)をTVで接する機会が極端に少ないのが現在ですから、観客と演者との約束事が判らなくなるのも仕方ないのかもしれませんね。

今日も支離滅裂な内容になりまして・・・今日はこれにて失礼しますね。
posted by 治兵衛 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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